港町・舞鶴市では、豊富にとれる魚介類を使って、水産加工業が発達。「細工もん」といわれる蒲鉾は、古くから結婚式などの縁起物として珍重されてきました。松竹梅や鶴、亀、鯛などを、さまざまな色を使って絵付けしていきます。同じく漁業が盛んな宮津市や伊根町では、船首が鋭く尖ったトモブトと呼ばれる木造船が今も使われています。こうした伝統的な小型和船は、船大工一人で造れるものではありませんでした。木材を板に挽く木挽き、船釘を鍛える鍛冶屋、板の接着に使う漆を掻く職人たちが、船造りを支えました。船大工は、漁師の要求に応えるため、水が入らす、安定性のよい、スピードが出る船を造ることに心血を注ぎました。これによって、すばらしい船ができあがるのです。由良川の下流域には十ヵ所を超える縄文遺跡があります。大水が出れば流されるような環境にもかかわらず、継続的に集落が営まれました。志高遺跡丹後東部における最古の土器(縄文早期末)が出土した志高遺跡(志高)は、縄文時代早期から明治時代にわたる長期の大規模な複合遺跡として全国から注目されています。また、弥生中期後葉の首長墓とみられる大型の方形貼石墓(方形周溝墓に石を貼ったもの)が発見されたことから、丹後の拠点の一つとなる地域であったと考えられます。由良川沿いの微高地に営まれた桑飼上遺跡(桑飼占は、直接洪水の影響を受けていた場所と考えられますが、弥生時代から奈良時代を中心として、長期間集落が続いていました。古墳時代中期から後期にかけては十棟の竪穴式住居跡が発掘され、白玉がたくさん出土しています。昭和四十七年二九七二)、由良川改修の際に発見された桑飼下遺跡(桑飼ド)は、縄文後期を中心とした遺跡で、炉跡や土器、ドングリやクルミ、石器、耳飾りなど、縄文人の暮らしがうかがえる遺物が数多く出土しました。それまでの高地中心だった縄文遺跡に対し、水辺の低地性遺跡で、西日本縄文後期遺跡の代表的存在となった。
[参考サイト]
夕日ヶ浦温泉「坂本屋瑠璃亭」