死を病院の中に押しやってしまった現代日本人

2012-02-05

医者になって1年ばかり経った頃、私はストレスからくる十二指腸潰瘍になってしまった。ストレスの主な原因は、死に逝く人々を看取らねばならないことだった。まだ26、7歳の若造だった。明日を楽観して気楽に生きてみたい年頃だった。それなのに、死者を看取る作業は毎日の仕事の中にきっちり組み込まれていた。医者は高給取りだと思われがちだが、今日のような医師過剰時代ではそれほどでもない。高校時代の同級生で都市銀行に勤めている連中の年俸は私よりずっと上である。それでも、平均的なサラリーマンよりは少し高い給料をもらっているかも知れない。なぜか。それは誰もが扱いたがらない「死」というものを処理しなければいけない仕事だからである。昔、死はもっと身近なものだった。多くの人たちは家で死んでいた。だから、昔の日本人たちは、来年のことを言うと鬼が笑う、と固く信じていた。人間の運命なんていつどうなるか分かったものではない、と謙虚に生きていた。しかし、今日の日本人たちは死を病院の中に押しやってしまった。そして、自分だけは死なないと思い込んで、長期のローンを組んで家を建てたりするようになった。明日への楽観が経済を発展させた。経済の成長にともなって病院も大きくなり、やがて、死とは病院で処理されるものだと誰もが思うようになった。自分たちが遠ざけた死を扱わせるのだから、医者の給料はいくらか高くても目をつぶろうというようなことで社会的な合意がなされた。